国って何だろう?

今、財務省の公文書偽造問題で日本中が大揺れですね。
しかし、この事件は起こるべきして起きたことではないでしょうか?安倍政権になって内閣調査局なる日本版CIAも作り、内閣府人事局も作って官僚を意のままに操る。その弊害は、昨今の前川氏の中学校での講演における行動監視事案に如実に現れます。そして、前川氏の出会い系の監視事件も同じ内閣情報局の関与でした。
この国の政治は、明らかに先祖返りに陥っています。戦前の情報統制によって国民を戦争へと誘導した悪夢が蘇る方も多いのではないでしょうか。しかし、政治の劣化と共に、行政官も大きな後退をしてしまった理由は、なんでしょうか?私は、「日本社会のモラル」にあると思います。北欧の政治は、どこを調べてみても国民を第一に考えた制度をしっかりと作っています。そして、常に社会的弱者を優先しようという優しで溢れています。GDPでは日本より下ですし、経済規模でも日本を下回っています。それでも、フィンランドは国民が幸福度を享受しています。スウェーデンは、将来不安が全くない国として、国民が誇りを持っています。翻って日本はどうでしょうか?
ただここで、立ち止まって考えなければならないでしょう。
政治は、国民のものであり為のものです。しかし、現状は一部の特権階級とは言えないまでも、それにちかい階層のためのものになっていないでしょうか?
その責任は、一般の国民にあると思いませんか?「人任せ」「偉い人がやってくれる」昔から日本人は、そうやって政治を人任せにしてきました。その結果が、今日の政治や行政に現れている、私はそう実感します。
国という人間は存在しませんが、私たちの頭の中に勝手に「国」という妄想を作り上げたことで、「責任逃れ」をしてきたのではないかと反省しています。
将来ある若者に、自身を持って政治を語れる大人に成りたいものだと、改めて感じております。

地方銀行は信頼できるか

スルガ銀行のシェアハウス融資で問題が噴出しているようです。シェアハウスの運営会社への投資を呼びかけ、一般の投資家(ほとんど素人)に対して高額の融資をしているということだが、ここに来てその運営会社の経営状態が、どこもかしこも自転車操業だったことが分かったという。
そもそも、自分がホテルなどの再建の仕事をしていた時にも、スルガ銀行の評判はすこぶる悪いものだった。更に、静岡銀行などの地銀が、観光業で受けているダメージは、想像を遥かに超える酷いものだった。しかし、何故か決算報告書には健全な数字が並んでいたことを思い出しますね。最も酷いケースでは、一件で20億円近い負債を抱えて折り返しで凌ぐ状態でした。それにもかかわらず、自己資本金比率ランキングに目が奪われた人たちが、今回のような犠牲者になっていることを観ると、どこかで日本の金融行政の不健全さを感じてしまいますね。偶然か必然か、財務省の不祥事がクローズアップされていますが、これなども10年以上前のハゲタカブームの時に、金融界の闇を指摘していたにもかかわらず・・・・。こんな思いが強くなります。
日本の金融界は、当時の反動で苦しんでいます。言ってみれば、甘やかして育った二代目が、会社の経営が上手くいかなくなっているような話です。
当時は、10億円の資産価値をたったの一円で、海外の投資会社に売っていた状況でした。しかも、それを橋渡ししてきたのが日本の金融機関。そして、時の竹中小泉政権だったことは、今の派遣法問題と絡めて反省すると、妙に上手くできていることに気づくはずです。
税金を投入して金融機関を守る。
そして、今の安倍政権。黒田日銀総裁の異次元の金融緩和政策。これは、「当時の貸しを、返せよ。」と迫られているような話です。
そのツケが、今、日本を襲い始めたといっても過言ではないように思いますね。

日本の政治家のモラルを疑う

冬季五輪が閉幕しました。日本選手も大活躍。特に、スピードスケート女子のみなさんの活躍は素晴らしかったですね。
しかし、そんな選手の皆さんに冷水を浴びせるような発言をした国会議員がいます。自民党の麻生財務大臣です。
「外国人コーチに金をかけたことで結果が出た。」
そう胸を張ったそうです。確に、外国人コーチの重要性は認めますが、その前に選手たちの努力を先ずは賞賛すべきではないでしょうか。それに、政治や裏話になるような金の話を優先させるような無神経さは、相変わらずの金権政治集団自民党のお家芸ですね。
カーリングの選手たちが地元に戻った時のあの解き放たれた表情は、逆に私たちには共感できました。また、既に、疲れている中でも次の大会に向けて出国したメダリストもいるのです。
そういう選手たちだけでなく、彼らに続こうと夢を追いかける少年少女の夢に、冷水を浴びせるようなことは絶対に止めてほしいものです。
そもそも、政治家に発言を求めるジャーナリストもどうかしていると思いますが・・・・。

民泊の問題点が浮き彫りに

兵庫県で民泊利用者による殺人と思われる事件が起きてしまったようです。米国籍の人間が容疑者ということですが、これから民泊が増加傾向にある日本にあって、非常に難しい課題を突きつけられた思いです。日本人は、海外旅行先でも、危機意識が無さすぎると指摘されています。それは今でも変わらないようです。その傾向が、如実に民泊というものに安易に飛びつき、また、広めようとする動きに見ることができます。
先日も、TV番組の中で、地方の田舎の農村で「民泊」を勧めている企業を紹介していました。別にその企業を悪く言うつもりなど毛頭ありませんが、正直言って「危険だなあ」と感じる内容でもありました。隣との距離が離れた村で、一人暮らしの75歳を過ぎたお婆さんが、外国人の男性をもてなすというものですが、その外人さんは「日本の暮らしに触れられて楽しい」と喜んでいました。「そりゃそうだよ。」見ていた家族もTV画面に向かい、そう叫んでいました。私は、おばあさんの楽しそうな笑顔がとても良かったので、上手くいって欲しいと思いましたが、一方では、「事件などが起きなければいいな」と心配にもなっていたのです。その矢先の、兵庫での殺人事件。
民泊の怖さを強烈に思い知らされた感じです。経済主導は、ニホン人なら普通の概念でしょう。しかし、もし、本格的に民泊を勧めるなら、そのリスクの説明と対策も同時にしっかりとしていただきたいものです。

改革という騙し

今国会で政府与党が提出した「働き方改革法案」について論戦が行われています。ところが、厚生労働省が政府案の裏付けデータとして提出した資料がでたらめだったことが判明しました。これはどういう意味を持つのでしょうか?
私が思うに、安倍政権になって横行している「忖度の連鎖」ではないかと思います。安倍政権が官僚の人事権を握ってから以降、官僚による安倍への媚びへつらい行政が万延していることの現れでしょう。森友事件や加計学園事件にも象徴される、政治と官僚のもたれ合いで引き起こされる不祥事の数々。
そしてついに、スーパーコンピュータ事件では堂々と補助金詐欺にまで合う始末です。まあ、昔から自民党政権では、金にまつわる事件のオンパれでしたから驚きはしません。しかし、これほど酷くなると流石に見逃しておくわけにはいかないと思いませんか?
今の日本の状況は、危険水域の状態だと言われています。何が危険なのか。
それは実体経済であり、教育格差であり、将来の日本そのものである。
欧州の経済学者や社会学者たちが揃ってそれを指摘しています。
先日、国会に日本の経済学者といわれる人たちが呼ばれて、公聴会などが実施されていました。難しい言葉が飛び交うので見学者の方も寝てしまうような有様でした。一般の人には、外国語を聴いてるのと同じくらい意味不明なのでしょう。ただし、彼らの中に、財務省出身の人もいましたが、「財政危機などない」という暴論も吐いていたのには、驚きます。まあ、財務省と学者生活ではそれも仕方ないとは思いますが、一度、自分で何かの商売でもやってみればまさに「実体」が解るはずなのですが・・・・・。
そして、働き方改革などという片腹痛い法案名をつけて誤魔化そうとする政府のやり方にも疑問を感じています。いつの時代も同じですが、「改革」という名の悪法や悪事は、中々一般には見抜けないものです。元々、日本には「お上は嘘は言わない。間違いない。」という神話のようなものが生きています。
しかし、ここにこそ悪魔が潜んでいることが、そろそろ若者にも気づいている頃でしょう。騙され続けて太平洋戦争にまで引きづられて、それでもお上を信じたい日本人。無責任な民族だと思いませんか?もう少し自己責任ということを考えましょうよ。騙されるのも自分が悪い。その発想が、将来の日本を救ってくれるのではないでしょうか。
もし、この法案が通ってしまった場合、過労死の判定は誰が、どのような裏付けデータによって判断するのでしょうか?また、できるのでしょうか?
答えは簡単です。時間というデータが存在しない以上、過労死の認定など絶対にできないのです。つまり、「勝手に頑張って勝手に死んだ人」。これが、将来の過労死ということになるでしょう。もちろん保証などありえません。
まさに、安倍さんが演説で叫んでいた通り、
「あんな人たちのために、仕事などしません」
「あんな人たちのために、一銭も金を使いません」

「あんな・・人たちの・・・ためには・・・・・」

あんな人・・・・さあ、これは誰のことなのでしょう?

福井の大雪で・・・・

福井の大雪による被害は、10人以上もの尊い命が奪われた上に、経済的なダメージも想像以上に大きなものになっているそうです。
ある温泉街では、1万人以上のキャンセルが出ていると、ニュースは報じています。現地の方々にとっては、まさに非常事態ですね。
こういう時にいつも思うのですが、行政の存在意義です。何も起こらないと何もしない行政。特に警察はその傾向が顕著だと言われてきました。しかし、本来は、一般市民に何か事件や災害が起きた時こそ、活躍して欲しいと願うのは私だけでしょうか。
例えば、今回の大量のキャンセルが出た宿泊施設に対して、無利息で運転資金を貸し出す救済処置を実施することなおです。通常の場合、貸出条件が厳しく、経営上の条件をクリアしなければ中々融資も上手くいかないものです。しかし、今回のようなケースの場合は、そのハードルを設けることなく、すべての宿泊施設に対して実行して欲しいと思います。確に、無条件での貸出にはリスクが伴います。しかし、だからこその行政機関による貸出なのではないでしょうか。条件が揃えば、民間で十分でしょう。行政や公共性とは何か?まさに災害などによってその存在意義が問われているのではないでしょうか。